Constant dropping

役に立つかもしれない、立たないかもしれない一滴

2019夏登山

今週のお題「夏を振り返る」

 

今年の夏は、友人と登山に行った。

 

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天気は快晴。

 

正しくは快晴を狙って、何度も予定を変更した。

 

友人は1時間に1回は天気予報を見ていたそうだ。彼の執念が呼び込んだ晴れだと思う。

 

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明け方も素晴らしい。

 

 

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そして、山荘での食事

 

身体に染み渡る。どうしてこんなにおいしいのか。地上から見るこの写真では伝えきれない。

 

自分もまだまだ登山初心者。その自分が感じたこと、以下にまとめ

 

1.靴だけはちゃんとしたものを

靴、本当に大事。靴だけはちゃんとしたものを

足の爪は適切な長さに処理しておくべき

 

2.完璧に山用品ブランドでそろえる必要はない

ワークマンを適宜利用→おすすめ:手袋

 

3.雨に対する注意

雨降っていたらどう歩けばよいかわからないような道が多々。

雨の日はおとなしく中止に。

 

4.着脱しやすい服の重要性

山ブランドのジャケットなど、地上ではちょっとしたおしゃれ程度かもしれない

しかし、山に登ると軽くて暖かいことがいかに重要か思い知らされる

山では動いていると暑いが、止まるとすぐに寒くなる。

着脱しやすい服は本当に重要

 

5.干し梅

びっくりするほど、おいしく感じる

 

6.詳しい人と行く

最初に書くべきこと。何よりも大事。

 

ここまで書いて、また登山に行きたくなっている。

友人と別れる際、来年も行こう!と青春っぽくなるのかと思ったら、来年はもう無理だな、と寂しいことを言っていた。

 

思えば、去年もそんなこと言ってたのに、今年も山に登った。

 

自分も友人も夏山に魅了されはじめていると思う。

 

きっと、来年の夏も、来年はもう無理だなと言っている気がしてならない。

大事にするとは

金スマで、きくち体操の先生がおっしゃっていた。

 

「体を大事にするっていうのは、体をしっかり使うこと、しっかり動かすこと」

 

ものすごく色々なことに通ずる概念だと思う。

 

大事にすると聞くと、丁寧に優しく慎重にってイメージがあるけど、逆にどんどん、がつがつ使っていくことが、大事にするってことなのかもしれない。

 

友人を大事にしなさい

 

優しく丁寧に、嫌われないように接するのでなく、何でも話してみる。自分のダメなところ、相手のダメなところ。それをガツガツぶつけ合う。ひたすら聞き役になり、優しい言葉ばかりかけるのはむしろ大事にしていない。

 

時間を大事にしなさい

 

しっかりと、計画を立て、プログラムされたように無駄なく行動するのでなく、自分の興味の内外に関係なく色々なことに挑戦してガツガツ時間を使う。常にもっと時間がほしい、と思える状態でいる。

 

だいじに-する 【大事に-する】

守りの姿勢にならず、本来のあるべき姿のため、攻め続けること。

 

嫌なニュースを技術で何とかしたいと本気で思った

久しぶりに実家で長い時間を過ごしている。

 

実家で過ごした時代によく言われたことが、理屈っぽい、口が減らない、くそ生意気。反抗期があったわけではないが、とにかく家族が言うことにつっかかっていた。

 

今こうして過ごしてみると、気になって仕方がないことが多い。端的に言えば、家族を論破したくなってしまう。

 

特にやめてほしいところが、運転中の他の車に対する文句だ。本当に文句が多い。何の意味があるのか。

 

道路なんて運転免許さえあれば誰だって走行していい。

だからいろいろな人がいるのが当たり前だ。

 

最近は、運転技術の高さも人間的な価値観も違う人がわんさかいる道路で、ここまで安全に過ごせていたことは感謝すべきことだったんじゃないかと感じている。

 

残念ながら、それがそのまま続いていけるわけではないだろう。むしろこれからもっと、SNSで発信するために刺激的なことやってみたり、若々しいけれど、身体的な反応は鈍っているドライバーは増えていく。

 

 自動運転が早く普及してほしい。ただの移動は機械に任せ、走りに喜びや楽しさを見出したいときに人が運転するようになればいい。

 

さらに、人が運転するには、運転免許証だけじゃなく、倫理的な免許も必要になればいい。道路で自動車を運転することはもっと特別な、それによって「ちゃんとした人なんですね」とステータスになるようなものになってほしい。

 

規制、規制で楽しみを奪いたいなんて思わない。ニュースを見て、みんなが嫌な気分になる、こんなものなくなればいいのに、と思っているのに、なくならず、これからもまた出てくるような現状にどうにかならないものかと思う。

 

やはりそういったことをなくしていけるのは、技術の力だと思う。いい意味で勘違いすれば、自分も無関係ではないはず。

 

そのために今やれることっていったら、家族を論破することじゃなく、技術について詳しくなることだし、この熱意を誰かと話すことだと思う。

 

技術に足する知識と情熱。これを持ち続けることで、嫌なニュースを一個でも減らしたいと、本当に思う。

 

 

 

 

夏休みの予定

今週のお題「夏休み」

 

夏休みと聞くと、まず思い出すのは祖母の顔だ。

 

祖母とは別居していたが、夏休みになると、自分たちの世話をするために、我が家に長期滞在していた。

 

祖母とは、本当に長い時間を過ごした。

 

友人を家に招くと、祖母は近くのコンビニまで行って、お菓子やら軽食やら買ってきてくれた。

 

自分が母に怒られるときも、祖母はいつもフォローしてくれた。

 

祖母は料理が上手く、いつも手の込んだものを作ってくれた。ただ、それが、子供のころの自分の味覚には合わず、不満を言ってしまったこともあった。

 

そんな日々もやがて、自分の成長とともに、終わっていった。

 

それでも、年末やお盆には祖母の家に行き、たくさん話をした。会う機会が減ったからか、毎度、料理は豪華になっていた。

 

 

祖母が我が家から帰るとき、自分が祖母の家から帰るとき、必ず握手をして別れた。

ありきたりではあるが、そのたびに、自分の中に力が伝わっていた。

 

今の自分の暮らし中で、不思議に思うことがある。特に理由もないのに、頑張れるときがある、ということだ。

 

最近になり、そのモチベーションの原点は、自分の心の奥底にある、「家族に胸張って会えるように」という思いではないかと感じてる。

 

今までは少なからず、自分の努力で、自分の力で道を切り開いてきたと感じていた。

 

だが、そんなことを思うのはおこがましいことだ。バカ息子のたわごとだ。

 

自分を、頑張ることに向かわせてくれたのは、自分のことを真剣に考えてくれる人の存在があったから。決して、自分一人だけの意思では、頑張れなかったはず。

 

今の自分が、誰かの人生のモチベーションにつながるような力を与えることは、できないけれど、この一週間、明日一日を頑張るモチベーションなら与えられるかもしれない。

 

そんな感じで、ちょっとでもいい方向に行けばいいなと思いながら、今年の夏を過ごす予定。

ペイフォワードしていく話

長い付き合いを見越して、付き合わないほうがいい、ということを年々感じ始めている。

 

小学校ではこれからも中学や高校で付き合うことになるかもしれないから、仲良くやっておこう。

 

大学は、4年もあるうえ、自由な時間が多いから、友人との付き合いは大事だ。自分だけ得すればいいなんてことはやめよう。

 

そう考えてこれまで過ごしてきたけれど、意外と意味のない事だったように感じる。

 

相手のこと思いやったり、気を遣ったりして、どんなに「いい人ですね」「人格者ですね」と思われても、そこに意味はなくて、離れてしまえばそれっきり。

 

あれ、自分がやってきたことってなんだったのかなと思う。

好き放題ふるまっていたほうが、得だったのかなと、少し後悔。

 

でも、そんなことないんじゃないかと思えたのが、最近の出来事。

 

先日、それまで、すれ違ってもあいさつもすることもなかった後輩から突然声をかけられた。

 

「今度時間あったら、飲みに行きましょう」

 

どうしたどうした。そんな間柄じゃないだろと。社交辞令かと思っていたら、本当に実現してしまった。

 

あまり、人付き合いに答え合わせをしてはいけないとは感じていたが、率直にどうして急に飲みに誘ったのかを聞いてみた。

 

すると、自分が何気なく話した後輩へのお祝いメッセージビデオが非常にうれしかったそうだ。

 

無駄かもしれないけれど、少しでも喜んでくれればいい。そう思って撮影したビデオだった。

 

誰かにした良い行いが、直接帰ってくることなんて、ほんとにわずか。

それでも、そのわずかが、たまに帰ってくる。

 

そう考えると、愚痴を言う暇があったら、何かひとつでも、人が喜んでくれることを言うことに時間を使うべきだと思える。

 

そんな風に思えるのは、自分に嬉しさを返してくれた後輩のおかげでもある。

 

ペイフォワード、ペイバック両方大事。

 

会わなくなってしまう人も多いけど、ペイフォワードしていきたい。たまたま会えた時にはペイバックしていきたい。

 

目の前の人を大事にすることの繰り返し。

その一言に尽きる。

 

 

 

 

 

 

 

腕時計の話

今週のお題「2019年上半期」

 

上半期。印象に残った話をひとつ。

 

先日偶然見かけたNHKの番組。内容は、72時間ひとつの場所で定点観測を行い、そこに現れた人たちにインタビューを行う、というもの。

 

その回は郵便局の回だった。

 

一人の女性が腕時計を修理に出すために、郵便局を訪れていた。

腕が細くなってしまい腕時計のベルトが合わなくなってしまったそうだ。

 

腕が細くなったのは数年前、大きな病気をしたためだった。

 

ここまで見て自分は、「ほかに腕時計はなく、愛着があるこれを使っていたいんだな」くらいの感想だった。

 

しかし、女性は別な腕時計を身に着けていた。

 

では、なぜ修理に出すのか、と聞かれ女性は答えた。

 

大きな病気を経験し、死を意識するようになった。それ以来、時間が気になって仕方がない。だから時計はいつでも身に着けられるよう、用意しておきたい。

 

自分は、目が覚めるような衝撃を受けた。

 

毎日目にする腕時計を見ながら、自分の人生の残り時間が減っていくことなんて、意識したこともなかった。

 

朝起きて、お昼の時間になって、帰宅する時間になって、寝る時間になる。

また、朝起きると、時計は一周していて、同じようにまた一周する。

 

でも、女性が見ている時計は違う。一周しかできない時計だ。

 

そして、自分の時計はどこまで回っているのか。病気を通してそのことに気がついてたのかもしれない。

 

時計、病気、人生の時間。すべてがつながっていたように思えた。

 

この番組を見て以来、腕時計をしっかりつけていくようにしている。

 

飲み会の席で、

今何時かな、帰りのバスはあるかな。

 

これまでなら、そう考えていた。

 

今は腕時計を見ると、少し別なことを考える。

この人とも、もう会えないかもな。それならもっと楽しく気分になってほしいな。

 

結果、相手は、楽しく話しだして、帰るのは少し遅くなってしまう。でも、早く帰ってくるよりもいい時間を過ごせたんじゃないかと少し感じる。

 

上半期、本当にあっという間だった。

腕時計を見るのは、いつもイライラしているときで、見るたびに余計イライラしていた。

 

下半期は、違った気持ちで腕時計を見たい。

見るたびに、優しい気持ちになり、愛情をもって接することを思い出せるものにしていきたいと思う。

 

そんな些細なことが、時間を意識して生きるということだと、自分には思う。

 

 

「赤、青、黄、緑どれが好き?」

今週のお題「わたしの好きな色」

「赤、青、黄、緑どれが好き?」と聞かれてから10年以上経つ。

「黄色かな」と答えると、

「えー、そうなんだ。黄色が好きな人は変態なんだよ」

 

よくよく聞いてみると、赤、青、緑を選んだ場合は「へえーそうなんだ。」で終わっているようだった。つまり黄色を引いたらドボン。変態確定。

 

なぜ彼女はそこまでして、変態を探したかったのか。僕に変態のレッテルを張りたかったのか。真相は闇の中だ。ただ、当時の自分は、自分のイメージがダウンするのを恐れて必死で弁明をしていた。

 

最近は「好きな色は何ですか」という質問ひとつにも、いちいち意味を持たせて、自分の人間性を反映させて答えないといけない年になってきたと感じる。

 

「好きな色は黄色です。」

「あなた、変態ですね!」

に対する返しのほうがよっぽど人間性見られると思う。そんなシンプルさを大切にしていきたい。

 

きっと彼女も、僕の返答を通して本当の僕を知りたかったんだ。きっとそうだ。

 

 

 

いや、そんなことないか。