Constant dropping

PM(プロジェクトマネージャー)の日々

長距離バス

年末の帰省には、4時間のバスを2本乗り継いで帰っている。

 

今回は、帰省ピークに帰っていることもあって、家族連れ、子ども連れを見ることが多い。

 

いくつかいい光景を見させてもらった。

 

1本目のバスを降りる際、孫を迎えるおじいちゃんを見た。まさに、破顔という言葉がふさわしい笑顔で孫を抱きかかえていた。

 

2本目のバス。騒がすに大人しく、母親の方の隣で座ってる子ども。だが、その子も休憩になり、バスを降りると元気に駆け出していった。周りに迷惑をかけないように頑張っていたのだろう。親の教育の賜物である。

 

今では、幼い頃の自分が見たら驚くほど、バスの中で寝てばかりいる。だが、自分にも、長距離移動が落ち着かなかった時代があったなと、幼少期を懐かしむ。

 

そう考えると、自分が今こうして、当たり前のように長距離バスに乗っていても、それは親の努力によるものだと考えさせられる。

 

実家に帰ると、時に窮屈に感じる。

合理性があるかという観点から見ると、明らかにもっとこうしたほうがいい、と思うようなルールがたくさんあり、それを破るととんでもない身勝手人間のように扱われるからだ。

 

だが、今日のバスでの光景を見て、もう少し譲歩しなければいけないと感じる。

 

合理では考えられないほどの愛情があったからこそ、今自分はこうして生きていられるのだ。

 

自分の人生で最もやりたいことを大事にするため、子どものいない人生を選ぶ人もどんどん増えてきている。

 

やりたいことをやると言うと、身勝手に聞こえるが、費やせる時間とお金はおおよそ限られたいるのだから、そのような考えは至極真っ当であると思う。

 

ただ、自分だけでなく他人のことを一生懸命に考えられる経験は、大いに価値があると感じる。

 

そのような選択をしてくれた、両親への感謝の思いと、なるべく家のルールに従って年末年始を過ごそうと考える、長距離バスの車内。