考えてないように見えて、考える人
「とりあえず言った通りやってくれないかな」
管理する人間と実際にやる人間
実際にやる人間は、言った通りにするとまずいことを知っている
そのためそこにスポットが当たりすぎないよう、別な方法を試す
しかし、指示した側は、なぜ言った通りにやってくれないのかと、疑問に思う
結果、やる人間が苦しい状況に陥る
つまるところ、いかにその方法がだめであるかを示さなくてはいけない
「それが本当にだめかどうかは君が判断しなくていい」
なるほど、こちらがだめと思っている方法が良いというパターンもあると
こういうことが続くと、人は
「考えたほうが失敗する」「怒られる」「無駄な苦労をする」
「とにかく指示に従った方がいい」となる
と、ここまで、下書きをしたのが3日前
自分のこれまでを振り返ると、後から振り返れば余計なことだったことばかりだ
さらに深く考えると、それは人の言われたことを的確に理解できていなかったからだ
思うに3パターンある
①ボスからの指示→的確に理解→要点を抑え実行→良い結果
②ボスからの指示→とにかく実行→まずまずの結果
③ボスからの指示→理解できない→自分なりに考えた代案を実行→悪い結果
自分で考えるというのは案外狭い範囲のことで①の「要点を抑え実行」の段階にしかないと感じる
大事なことは指示を「的確」に理解すること
これができる人が、「考えてないように見えて、考えている人」なのだと感じた
小学校の校庭にあったあれ、観光地にあったあれ、駅前にあったあれかもしれない。
だって、どう考えてもロダンのは③だから