Constant dropping

PM(プロジェクトマネージャー)の日々

教えを請うことのコスト

GW明けの週、非常に疲れました。人と話すことが久しぶりすぎて、楽しいけれど、脳にかなり負担がかかっている感覚がありました。脳の筋肉痛ですね。

 

さて、今週は視界が広がる学びがたくさんありました。3つ、お送りいたします。

 

僕が感じていた違和感、それは暇な時間

仕事のなかで、よっぽどスーパーマンじゃない限り、なんか手空きだな、っていう時間があると思います。

 

僕は若手ゆえ、あまり重い仕事を抱えていない分、手空きになっている、そう思っていました。

 

実際は違っていて、同じ係の先輩やアシスタントの方も、暇な時間がありながら、それをばれないように、半ば無意識で、自分の知識向上のための時間に使っていました。

 

暇って大っぴらにいうと、仕事を振られるから。

 

結局大事なことは、自学していく能力、セルフマネジメント能力。あんまり認めたくないけど、怒られない程度に仕事もらって、どうでもいいようなことはできるだけもらわず、自分でせっせと勉強している人が、能力やスキルを身に着けているな、という実感しました。そこで勉強もせず、仕事をしているフリをしている人がいないのは、良いことだと思います。。

 

教えを請うことのコスト

事実を書きます。僕の部署の30歳以下の社員、あまり年上社員に、「教えてください!」というようなことをしません。

 

というより、たぶんできないんです。ゆとりとかではなく、この世代は、無料で教えてもらうこと、情報を公共にすることに慣れてしまっていて、そういった秘伝、みたいなことにネガティブなイメージがあります。

 

近年は、大学の必要性も問われています。お金を払って、教えてもらわなくてもいい、というような論調です。そして次は、教えを請うことのコストです。

 

頼んでまで学ばなくてもいいなんて言うと、僕よりも上の世代の人に怒られそうですが、本当にそうなんです。無料で学べるから。共有ページにあるから。

 

でも、学びたくないわけではありません。だからこそ、めんどくさいこと言わず、教えてよ、そう思います。

 

もちろん、部下の成長に興味がないなら、それはそれで、何もしなくていいですが、部下を成長させないといけない立場にいて、でも、自分で這い上がって来い、みたいな態度はうまくいかないような気がします。

 

すごい人と出会う

前々から一緒にお仕事していた方がいるのですが、あまり付き合いは深くはなく、その方の本当の姿に気が付いていませんでした。先日、一緒に、顧客対応をすることになり、プレゼンの場に同席しました。

 

事業のかなり偉い人も出席し、厳しい質問を多く飛んでいました。しかし、その方は、いつもきっぱり、はい、いいえ、できる、できない、を明確に返答をしており、まさに快刀乱麻。聞いているこっちが気持ちがいいものでした。

 

本当に驚いたのは次の日。英語でのプレゼンだったのですが、その方は、ネイティブレベルの英語で話しだしました。驚いたと同時に、なるほどな、と思いました。

 

あの受け答えは英語の裏打ちされていたのだな、と。

 

本当に流暢な英語を話す方で、度肝を抜かれました。自分が微妙にしゃべれる価値は何だろう、そう考えさせられました。