Constant dropping

PM(プロジェクトマネージャー)の日々

人間関係におけるカンストについて考えた

ここ最近、ぼんやりと思っていて、なんとなく自分なりに意見がまとまったので、記事にしました。

 

まずはじめに、カンストというのは、カウンターストップ、の意味です。

(もしかしたら、今は使わない言葉なのかもしれないですが、、)

 

ゲームなどで、能力値のカウンターがストップしてしまう=それ以上、能力を上げることができない状態です。

 

最近、人間関係において、このカンストが起きていると感じています。特に仕事での人間関係は早いな、と思っています。

 

僕自身、後輩と接していて、「あ、これカンストしているわ」と思う時があります。

 

どれだけ仕事を教えてあげて、どれだけ丁寧に接しても、ある一定のところでカンストしてしまう。仕事を覚えてきて、自分でやっていけるようになると、自分に聞かずとも、適当な人物に聞くことで前に進めることができます。どれだけ同じチームで過ごしていても、カンスト状態になってしまったらそこで終わりになってしまいます。

 

実は、僕もこれをやってしまったと思っています。OJTメンターにいろいろと教えてもらって仕事を覚えたにも拘わらず、仕事ができるようになった今では、ほかの社員と変わりなく接しています。

 

仕事の付き合いであるので、それ以上は深めたくない、という気持ちはあります。ですが、せめて業務に関しては、常に教えを請うような状態でいないと、カンストをさせないような努力をしないと、人を育成することに対するモチベーションを出せないと思うのです。

 

こういったカンスト状態から、セクハラ、パワハラが生まれるのだと思っています。

「自分はこんなにやってあげたのに、そのカンスト態度は何だ?」という鬱憤を晴らすために、人は意地悪な態度をとります。

 

仕事だけじゃないです。プライベートの人間関係でも、仕事よりは高いレベルにいくことはできますが、「友達」として付き合っていく以上、どこかでカンストしてしまうんです。今後、どれだけ時間を使って過ごしていっても、これ以上楽しさが増大することはない、という状態です。例えば、男女の友人や学生の時代の友人。やはり、少しでもレベルアップができないと、その関係性を維持するのは相当な努力が必要です。

 

ただ難しいんです。カンスト状態になったあとは、そのレベル、関係性を淡々とこなしていかないといけないんです。

 

だからこそ、少しでも新しい箇所を見出していく、「すばやさ」がカンストしているなら、「ぼうぎょ」を上げるように、「ごはんに行く関係」がカンストしているなら「一緒に運動をする関係」といったような関係性の持ち方をする努力が必要です。

 

人間関係が変わっていっていく、急激な流れのようなものを日々感じる20代後半。

 

自分も受け止めていく側に変わっていかないといけない、と感じつつ、まだそんな風にはなり切れない、若者なのでした。